紅双華妖眸奇譚 (お侍 習作89)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


         
終 章



 私の知る とある智将は、少なくともあやつのように驕ってなぞいなかった。巧智に長けていて刀さばきも一流。少々老獪でもあったけれど、それはあくまでも経験という蓄積がもたらしたもの。本質は頑迷なくらい誠実実直で、だからこそ不器用なお人でもあって。斬艦刀を操る先鋒部隊を任されての、斬り込んだ戦さ場ではいつだって立派な勝利をもぎ取っておきながら。続いた本隊がその戦果を生かせず、負けては潰走ばかりしていたものだから。負け戦という貧乏くじばかりを引くと、苦笑混じりに改悛しておられましてね。

 先程の久蔵殿のように、見ず知らずの赤子を盾にされ、

 「これが戦さで、しかも味方を斬れなどと強要されたなら…どうされましょうか。」

 立場や状況によって様々に、答えは幾通りもございましょう。一兵卒であったなら、目の前の、爪も牙も持たぬ幼子の命、どうしたって見殺しには出来ませぬ。相手もそれを見越しての盾にする。ついでに言や、迷い苦しむことのないように、本音は実行者に選択権を与えぬため、兵隊には思考は要らぬと、上官へのイエスマンになるよう無茶苦茶な訓練を強いたりするとも聞いたことがありますが。

  ――― となると。

「大局を任され、視野の広い立場におわす司令官ともなると、部下に苦渋の選択をさせぬのも上に立つ者の役目と、そこはやはり非情の選択を、ご自身がしてしまわれるものなのですか?」

 例えば国民何千万を守るため、一握りの犠牲を涙を呑んで見殺しにするような。帝王や総帥には、そういう“一族すべての命運”への舵取りも任されているがため、時には非情としか思えぬような選択を強いられることだってある。血も涙もないと罵られても構わない、後世から残虐非道な悪魔とレッテルを張られても構わないとし、その行為への責任ごと胸を張っての隠さない。そんな辛さをも負う責務を担うからこそ、日頃日常での傲慢さや多少の狼藉を許されているとも言えて。勿論のこと、そんな究極の選択しか取るべき道がないような窮地に至らぬよう、周囲は日頃から頑張っているのであるし、そんな選択をお一人の肩へ押しつける方こそがそもそも悪いのだけれども。

 含むところもなくの純粋に、どのような選択が吉なのかと問われ、

 「そうさな。」

 壮年殿はその豊かな蓬髪の陰にて少々鼻白むように苦笑をすると、
「そういう模範的な選択もあろうがな。儂は欲の深い男だから、双方ともにこの手へ得られはせぬかというところ、方策をぎりぎりまで案じると思う。」
 ほおと感嘆してののち、くすすと微笑った平八へ、

 「それに。」

 その笑みを愛でるようなお顔で続けたのが、
「もしも非道や無体を選んだ上で、それは儂が選んだことでお主らに責はないと構えたとしても。上官にそんな選択をさせたのも、そしてその結果、罪のない命を屠ってしまったのも、私たちという存在を庇ってのことなのだと。そんな考え方をして、結局 重荷を負う者もあろうから。それでは結句、庇ったことになりはすまい。」
 色々と、考え始めれば際限がないこと。人の心の有り処には、潔癖で融通の利かない神も住めば、そのすぐ隣りには臆病で内向きな鬼も住んでいたりするから。

 「我が身で何とかする道を探した方が、むしろ面倒はないというものでな。」

 赤子を解放せぬならば、その子を斬ったお主をこそ儂が斬ろうとの我慢比べ。いつの間にやら、どっちが脅迫しているやらという睨めっこへと、体よくすり替えてしまわれるようなお人。ああやはり、私ごときでは敵いませぬなと、苦笑を濃くした工兵さんだったそうでございます。




  ◇  ◇  ◇



 生身の追っ手は一人としていなかったが、だからこその、冷酷で待ったなしの、落盤という恐ろしい死神に追われつつ。ただ崩すだけに終わらせずの、土砂をみっちりと落とす工夫、工兵さんが指示した通りにあちこちへの楔、計算通りに土砂が落ちるような小細工の太刀を打ち込みながらの撤退を構えることと相成った4人のお侍。ともすれば倒れ込むように、入り口だった窟口から一斉に飛び出したのと相前後して。岩屋の上部も巻き込んでの崩落が、地響きを伴ってのしばらくほど続き。

  「………あ。やっと静まりましたな。」

 確認した平八の一言で、はぁあ〜〜〜っと気が萎えての座り込んだのが。さすがに岩盤相手のやっとぉと並行しての全力疾走はきつかったか、壮年のお二人様がそれぞれに、月光が青く染める下生えの上、腰を下ろしての肩を落としてしまっている。その懐ろに赤子を抱え、よいよい・よいとなとあやしてやってる平八を見上げ、
「さすがは若いの。」
 よくもまあ平然としておれると感心する五郎兵衛殿へ、
「いやまあ、私は口だけ動かしておりましたから。」
 岩を刻んでおられた皆様に比すれば、さして体力も使ってはおりませぬと、にっこり微笑うエビス顔を、少し離れた方へと向けて、
「私なぞより久蔵殿ですよ。一番身軽だと見越して頼りにしてのこと、沢山指示を出しましたのに、あのようにケロッとしておいでだ。」
 彼の評する言葉の通り、稚児衆姿のまんまで動きにくかっただろに、すっくと背条を伸ばしたまんま。その痩躯を泰然と、立たせておわす剣豪殿で。綿毛のような金の髪、月光に透かされて白銀にも見えるそれを少し傾けると。そちらの傍らにやはり、片膝立てて腰を下ろしておいでの壮年殿の間近へと寄って。お膝を落とし、その腕を相手の肩へと伸ばして見せる。夜陰の中とはいえ、煌月に照らされることで、精悍な勘兵衛殿の男臭いお顔、その横顔の輪郭もくっきりと浮かび上がっており。
“おおおっとぉ。”
 無粋な覗き見になりかねぬとばかり、さささっと視線を逸らしたお連れのお二人の想いを知ってか知らずか。

 「…島田。」

 こちらも、気が抜けただけでさほど疲れてはないのだろう。背中は伸ばしての視線も強いままな相手の肩へと、白い手を延べた久蔵だったが、いたわるよりも何よりも先に、

 「俺が…俺の刀が信じられなんだか?」

 そんな唐突なお言いようをするものだから。おやや?と、思わぬ雲行きに肩がかくりとコケかけたのが、五郎兵衛と平八の二人だったりし。蜜のよな甘さどころか、やわらかさの欠片もないよな一言、冷然と放った久蔵だったが、勘兵衛にはそれでも通じた模様。
「そうではない。」
 端と応じて、彼の側からも久蔵へと手を延べる。なかなか大忙しの脱出劇に入る直前のやりとりを、今になって再開した彼なのだと、ちゃんと判っての応じであり。勝手なことをしおってと、叱るかと思ったところが…無事で良かったと、気を揉ますなと言われたことへのこれが続き。これが例えば七郎次であったなら、勘兵衛へ心配させることも含めて、こうまでの逸脱はしなかったはずで。だが、自分たちは主従ではないのだから、それぞれの意図で動くこともあっていいはず。どうせよとの細かい指示がなかったこともあっての、こたびの独断専行、詰
(なじ)りたければ詰るがいいとは思っていたが、無事だったことへと安堵されたのが…何というのか、叱言を覚悟をしての突っ張っていた若いのへは、却って落ち着きを無くさせる対応だったので。案じさせるほど頼りにならぬかと突っぱねたところが、

  ふわりと。暖かな手が頬に触れた。

 大きな掌は、手套のない感触が懐っこくて。その厚みと力強さと、温かさが好き。ただ触れて確かめるためだけではなくて。愛おしむ眼差しからこちらを逸らさせぬように。穏やかな眼差しを余すことなくそそぐために。そうしてくれるのが、実は好きな久蔵で。

 「お主が誰より途轍もなく強いのはようよう知っておる。…ただ。」

 誰にも懐かぬ神聖な生き物。なめらかな肌と臈たけた麗しさをたたえつつ、許しもなくの触れた者へは、鋭利な刃を仕込んだ翼で切り刻むよな。そんな果断な猛禽が、今は。猫科の獣の妖をまとい、覇王に懐いての喉を鳴らして甘えてさえいるかのようで。

 「覚悟がないままの唐突に、お主の姿が見えぬようになるのは。
  どうにも居たたまれぬ、生きた心地がしないのだ。」

 お主も常に言うだろうが。この身を損なうな、お主の知らぬところで怪我を負うなぞ言語道断と。それと同じよと低められた声が囁いて。深色の双眸が、こちらの瞳の底をまでを射通すかのよに見つめてくれる。大切な君へ、痛い苦しい、口惜しい辛い、そんな想いをさせたくはないのは同じこと。

 「………。」

 それは静かに紡がれる声音で。諭すように導くようにという、丹念な言葉の羅列とは裏腹に、真っ直ぐ久蔵を見据える眼差しの、何とも強く靭いことか。その身への蓄えに違いのある、そんな年の差が歯痒いのは彼の側とて同じことと言いたげでもあって。

  ―― 愛しいあまり、いっそ何処ぞへか閉じ込めてしまおうかと、
      愚かなことを思うのも、時間の問題かも知れぬ。

 ああ、いっそ。そんな想いも彼へと吐き出してしまおうか。いやいや、そんなはしたない真似だけは出来やせぬと、狂おしい想いだけ染ませた彼からの眼差しの。その色香をしっかと感じてのこと、

 「…。」

 肩へと延べた両の手を、雄々しく厚いそこから胸へまで、伏せるようにしてのすべらせて。言ってくれなければ判らないとのむずがりを、ねえねえとせがむような所作をする。赤い瞳が今にも潤み出すように細められ、情の強さを示して見せても。なのに訊いてはくれぬまま、沈黙を守る情人が、憎らしいのと同じほど…愛おしくて目が眩む。
「…島田。」
 身を寄せ、頬を寄せた懐ろの温かさ。せめてそれで補いたいか、ぎゅむとすがった痩躯を雄々しき腕がくるみ込み、気の済むまでそうしておれと構えた勘兵衛殿には異存もなかったことだろが、

 「あの〜〜〜。」

 いつまでもそっぽを向いて、現実から目を逸らしているのも限度があるぞと。勇気ある工兵さんが、それでも…背中を向けたままにて声を発して。
「私ども、これから東雲の宿場経由で虹雅渓へと向かうのですが。」
 正宗殿の工房へ特別な部品を発注しにと、それから。式杜人と共同で開発中の、小型の蓄電筒の製作進度を見に行くつもり。何でしたらここでお別れとしましょうかと。言った言葉の一通りが終わらぬうちにも、衣擦れの音がして。勘兵衛殿の懐ろへ、愛し愛しと擦り寄っていた誰かさんがあっさりと。その身を起こしてしまったらしい。そうして、

 「虹雅渓なら、儂らも向かうところの地。」

 よければ同行しようぞと、壮年殿の声にて言われ。ああそうか。虹雅渓といえば、彼らには別の…大切なお人が連想される土地だけに、
“とんだお水を差しましたかしら。”
 我に返ってしまった久蔵なのだろとの想像がついたと同時。勘兵衛殿には、せっかくの睦みのお邪魔をしたかしらと、肩をすくめた平八へ、

 「…それにしても。」

 さすがに眠いか、大人しい赤子を抱えたシルエットが妙に様になっている小さな工兵さんへ。こちらも何とか落ち着いたのか、五郎兵衛殿が苦笑を向けたのは、
「久蔵殿がうまく誘導して赤子を掲げさせたは良かったが。そうならなんだら、ヘイさん、どう対処しておったのだ?」
 特殊な綱をつないであったあの矢を射かけよと、そういう指示こそもらっていたが、あの男がその身から遠ざけない恐れだってあったはず。そうなっていたらばどうしたのかと訊く彼へ、
「なに、そうなればなったで、あの男ごと召し捕ってしまったまでですよ。」
 こちらで綱の端を握っていた平八の、その操作術は何通りもあったらしく。あのようにして赤子を奪還するばかりではなくて、キュッと赤子ごと縛り上げることも出来たし、たわめて遊びを作ってのぶんっと勢いつけて送り出し、鞭のように先を撥ねさせての攻撃だって可能だったとか。ふふんと笑った平八だったが、
「悪党どもはともかくも、あの何だか不思議なお猿には、ちょっと酷なことをしましたかね。」
 入口の所在さえもはや塗り潰されたほど、そりゃあむっちりと隙間のないよう、土砂を落として埋めたため。どれほどの怪力の持ち主でも、ここから這い出ることは不可能だろと、平八が眉を下げてしまう。
「人の勝手で振り回してしまいましたものね。」
 昔話のとは違う、恐らくは何代も後の存在で。しかも大人しい手合いであったなら、酷なことをしたと言いたいらしい彼へは、
「いや。」
 久蔵が案ずるなと言いたげな口調で口を開いて、
「あやつは…人を喰ろうていたらしいから。」
「…それは。」
 あのまま解放されておれば、とんでもない騒ぎを起こしての結局は成敗されてもいたはずと。皆まで言われずとも、そんな物騒な意が他の皆様へも通じたものの。だとすると、

 ―― そういえば。
     あの妖異、赤い眸のシズル殿とやらとはどういう関わりがあったのですか?

 こたびの騒動の発端がそれ。無事な帰還を当事者だった彼へも告げるにあたっては、それへの説明もいることだろし。だがだが…訊かれた久蔵としては、
「…。」
 お顔を上げての、皆様へと視線を配った所作から考慮して。彼には珍しくも、ずぼらを通しての話さぬで通すつもりはなかったらしいのだが。

 「………。」
 「何処から、何から話していいやら、整理がつかぬのですね。」

 訊かれたそのままだったらしく、こくり、素直に頷いてしまった剣豪殿が、
「………。」
 自分では形にならなんだその胸中までも、ずばり言い当てられたのがちょっぴり口惜しいか。白いお顔が神妙にも項垂れたままになってしまったので。あらら、これはまた。思っていたよりセンシティブになられてまあと、微笑ましいことよと愛でるよな表情にてその頬を暖めた平八殿、

 「まま。シズル殿へは勘兵衛殿が何とでも言い抜けてくださいましょうぞ。」

 何も真実ばかりがいつもいつも大事とは限らない。優しい嘘が人を支えることも多々ある。そんな効用をよくよく御存知の勘兵衛殿が、何とでもしてくれましょうぞと、何だか随分と偏った励ましを告げてやり、

 「さて。では、東雲の宿場へ向かいましょうか。」

 奴らが使ってたらしい鋼筒も幾つか向こうに見えますから、ひとっ飛びにて参りましょう。そうさの、その子の親御もきっと心配しておろうからの。届けが出ておらぬかを、役人たちへ訊いてみよう、と。新しい明日へ向け、そうそうに動き出してる頼もしき皆様であり。

 「……うん?」

 立ち上がっての歩き出す中、羽織の裾を引かれて勘兵衛が振り返れば。日頃とは随分と色味や形の異なる衣紋のせいか、たどたどしい所作にも不慣れさが滲んでの、稚
(いとけな)さの増した連れ合い殿。何かしら言いたげな、そこはかとない気配があって、
「いかがした?」
 この語調で、低い声で告げれば他へは響かぬと示唆するように、小声で訊いてやったれば、

  「…心細うさせて、すまぬ。」

 至らなければ ごめんなさい。ちゃんとすぐに謝りなさいとは、七郎次おっ母様が常々口にしていたご指導だったらしくって。これほどの練達さんに、生きた心地がしなかったとまで言わしめた以上はとでも思ったか。小さな子供のような神妙さでの“ごめんなさい”は、何ともかあいらしい言いようだったので。おおと胸の底が擽られての立ち止まった壮年どのとの狭間に、確かに。


  「天使が通りましたな。」
  「今時でもそう言うのですか?」
  「おや。では、ヘイさんならば何と言うのだ?」
  「そうですねぇ。」


 あのお二人ならそんなものが通っても斬り払ってしまいそうですし…だなんて。何だか勝手なことを言われておりますが。これほどの大騒ぎもあっと言う間に日常へと飲まれてしまう、そんな桁外れなお人たち。冷たいのつれないのと、さんざ言われたお月様も呆れるほどの猛者たちが、さてお次はどんな騒動に巻き込まれますことなやら。今はとりあえず、鬱蒼とした森の中から立ち去る彼らを、初冬の夜陰と森の夜気だけが、静かに静かに見送っていたのでした。




  〜Fine〜  07.11.25.〜12.22.

おまけというか、後日談というか


  *いやはや、何だか長いお話になってしまって、
   気がつけば1カ月もかかってたのですね。
   お侍様に転んで はや1年。
   こういうお話も書けるまでになりました。
   これからも、皆様に可愛がっていただけるように、
   何より、本人の内の萌えが涸れるまで。
   どか、よろしくお付き合いのほどをvv

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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